昨日書くつもりでやめたことをあえて書いてみる。


絶望先生のアニメだけど第一期と第二期で話数が異なるのは何か意味があるのだろうか?
最初は放送スケジュールの都合かと思ったけど違うのかもしれない。
何か仕掛けがありそうな気がする。


第一期は全12話であった。
12とは時間を表す数である。
しかもクロノス的な直線的時間ではなく循環する時間だ。
第一期では春夏秋冬の季節の流れにそって物語が展開していたことを思い出そう。


で第二期であるが全13話の予定である。
13が表すのはもちろん死だ。
OPアニメーションの中でも死のイメージが強調されている。
第一期のオープニングが母胎のなかの糸色望で終わるのに対し、
第二期は首吊りのシーンで幕が引かれる。
そして第二期では時間軸を無視している。
原作の流れだけではなくアニメ作品内の時間も守っていない。
同一回の放送で話によって夏服を着たり冬服を着たりしている。
これは死による時間からの解放をあらわしているのではないだろうか?
時間の束縛から解放され原作をバラバラに解体し自在に並べ替えているように見える。


そういえばタロットで12は「吊るされた男」でもあるのだ。


とここまで書いたところで昨日はどうでもよくなった。
やっぱり書かなかったほうがよかった気がします。